大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和47年(行ツ)1号 判決

上告人

米山忠治

右訴訟代理人

佐伯静治

外五名

被上告人

国立新潟療養所長

江川三二

右指定代理人

海老根進

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人佐伯静治、同藤本正、同吉川基道、同大竹秀達、同佐伯仁、同坂東克彦の上告理由について

国家公務員の勤務条件は、すべて政治的、財政的、社会的その他諸般の合理的な配慮のもとに、国民全体の意思を代表する国会において法律、予算の形式で決定されるべきものであつて、私企業の労働者の場合のように、労使の団体交渉によつてこれを共同決定することが憲法上保障されているものということができないことは、当裁判所の判例(昭和四三年(あ)第二七八〇号同四八年四月二五日大法廷判決・刑集二七巻四号五四七頁、昭和四四年(あ)第二五七一号同五二年五月四日大法廷判決・刑集三一巻三号一八二頁)とするところである。そして、右判例の趣旨に徴すれば、国家公務員について憲法上団体協約締結権が保障されているものということができないことは明らかであるから、団体協約締結権を認めていない昭和四〇年法律第六九号による改正前の国家公務員法九八条二項但書は憲法二八条に違反するものではないといわなければならない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官高辻正己、同環昌一の各意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官高辻正己の意見は、次のとおりである。

私は、多数意見の結論を相当とし、これに同調するものであるが、同意見が、団体協約締結権を認めていない国家公務員法(以下「国公法」という。)の当該規定をもつて憲法二八条に違反するものではないすると理由を、専ら、「国家公務員について憲法上団体協約締結権が保障されているものということができないこと」に置いている点について、その引用する昭和四四年(あ)第二五七一号同五二年五月四日大法廷判決(刑集三一巻三号一八二頁)における私の補足意見の趣意に即し、意見を述べておかなければならない。

一  右判決の補足意見において、私は、公務員の給与をはじめ、これと不可分の関係にあるその他の勤務条件(以下単に「勤務条件」という。)の決定が、憲法上、労使間の自由な交渉に基づく合意にゆだねられているわけではない公務員につき団体交渉権を認めていない立法が、憲法二八条に適合するものであると解されるためには、その立法において、(一)国会が憲法上に保有する財政上の決定権を公務員の勤務条件の決定に必要な範囲で政府当局に委任し、公務員の勤務条件の決定をその範囲において公務員と政府当局との間の自由な交渉に基づく合意にゆだね、かくして、その間に団体交渉が正常に機能する交換取引の基盤を設定する措置が講じられているか、又は、(二)国会が、公務員の勤務条件を決定するに当たり、公務員の代表者の意見なり、公務員の利益を正当に保護する機能をそなえた中立的な第三者的機関の公正な意見なりを、その決定過程に反映させるようにする措置が講じられていなければならず、そのいずれの措置を講ずることにするかは、国会自身が、当該公務員の「勤労者」としての特性に応じ、その裁量において決定すべきことがらであるが、その措置の内容はもとより合理性に欠けるものであつてはならない旨を、述べた。その理由については右補足意見に説かれているところを引用し、併せて、右保障措置の内容が上記(一)の方法によつて具体化される場合には、おのずから、憲法二八条の労働基本権の保障が公務員に対しても一般勤労者に対すると全く同一の態様においてされるようになり、この場合においてなお公務員の、団体協約締結権を当然に含む団体交渉権を制限することが同条の許容するところとされ、同時に、保障措置の内容が合理性に欠けるものでもないとされるのは、ただその制限が当該公務員の職務の公共性に照らし国民全体の共同利益を擁護する見地から必要やむを得ないと認められる限度のものであるときに限られる筋合いであることを付言する。

二  これを本件についてみると、上告人がその一員である一般職の国家公務員について国公法上とられている保障措置の内容は、国会の裁量に基づき、前記(二)の方法により人事院を中心とした機構として具体化されており、その(一)の方法によつて具体化されているわけではない。したがつて、右に付言した観点における合理性に検討を加える必要はないが、前記(二)の方法によつて具体化された国公法上の保障措置の内容については、それなりに、合理性を欠くものでないかどうかが問われなければならない。ところで、多数意見の引用する昭和四三年(あ)第二七八〇号同四八年四月二五日大法廷判決(刑集二七巻四号五四七頁)は、この措置を「制度上整備された」ものとしている。そのような評価はともかくとして、少なくとも、その措置がその内容において合理性に欠けるものであるとは考えられない。このように、国公法の当該規定は団体協約締結権を認めていないのであるけれども、同法は相応の保障措置を講じているとみられるから、右規定は、右措置の関連規定と相まつて、憲法二八条に違反するものではないと解されるのである。

裁判官環昌一の意見は、次のとおりである。

一  上告人の上告理由は、要するに、昭和三四年九月九日付けの本件確認書の内容は、組合と人事権を有する当局との交渉の結果締結された労働協約にほかならず、国家公務員について団体協約締結権を認めていない本件当時の旧国公法(以下単に「国公法」という。)九八条二項の規定は憲法二八条に違反して無効なものであり、他にその有効性を制限されるべき特段の理由はないから、法的効力に欠けるところはなく、したがつて右確認書第二項の約定によつて、被上告人としては、上告人に対して配置換を命じようとすれば民間の労働協約における協議義務と同一の事前の協議義務を負うにいたつたものであるのに、上告人に対する本件配置換の命令は、被上告人において右義務に違背して協議を尽すことなくされたものであるから、労働協約に違背する無効のものである、との前提のもとに、右命令を有効とし、ひいては本件懲戒免職処分は適法であるとした原判決の判断を論難するに帰するものと解される。

私は、本件確認書第二項に記載された内容は、その作成の経緯に関する原審認定の事実からみて、二においてのべるような労使の交渉の結果として上告人や組合と被上告人との間で意見の合致をみたものであると思う。そこで、進んで右確認書第二項の「事後改めて、米山忠治氏と話し合い、又組合からの話し合いの申出があつた場合はそれに応じます。」との趣旨について考えてみると、被上告人があえて国公法等の定めるところに反して、上告人本人ないし組合の了承が得られるか、あるいは、上告人らが話合いを打切ることを納得するまで話合いを続けたうえでなければ、被上告人において新たに配置換の命令をしないことを約したものとは到底解せられず、被上告人としては、真摯な話合いをしても上告人らの右にのべた了承ないし納得がえられないことが客観的に明らかとなつたときは、その独自の権限と裁量に基づいて適切な人事上の措置をとることの自由を留保したものであると解するのが相当であると思う。そして、原判決の認定したところによると、被上告人は、いずれも前記確認書が作成されてから本件配置換の命令がされるまでの間の、昭和三四年九月一〇日及び同月一一日の両日には高橋庶務課長及び小川課長補佐を介して、同月一六日には被上告人の意をうけた右高橋によつて、上告人と話合いをしたものであり、被上告人は高橋らを介してではあるが上告人の説得につき真摯な努力をはらつたことがうかがわれ、右話合いにおいて上告人が配置換に応じられない理由として主張したところは、従前の主張を一歩も出ないものであつたのであつて、上告人や組合が被上告人に対して話合いを求めていたとはいつても真意は上告人の配置換を阻止する手段とするにあつたというのであるから、右事実によれば被上告人が右確認書の趣旨に反したりこれを無視したりして、上告人に対し本件配置換の命令を強行発令したものということはできず、被上告人にこの点に関する違約ないし背信の行為があつたものとは認められない。したがつて、本件配置換の命令を有効なものと解した原審の判断は、結論において正当であり、これを違法、無効なものとする上告人の所論は採用するに由ないものというべきである。

二  しかしながら、所論にかんがみ、国公法九八条二項、なかんずくその但書において、国家公務員に団体協約を締結する権利を否定したことが、憲法二八条に違反しないかどうかの点について若干の私見を附加しておくこととする。

多数意見は、国家公務員について憲法上団体協約締結権が保障されているものということができないことは明らかであると判示するのであるが、私は、この見解には賛同することができず、国公法により一般職の国家公務員とされている公務員(いわゆる五現業の公務員を除くものであつて、以下単に「公務員」という。)も概括的にこれをみれば憲法の右法条にいう勤労者にあたるものであり、その実質においても使用者たる政府といわゆる労使関係に立つものと認められるから、公務員が同法条によるいわゆる労働基本権の保障を享受すべきものであることは疑いをいれないと思う。もつとも、他方において公務員は、国民全体の生存の確保のために欠くことができないいわゆる行政事務を処理することによつて、国民全体に奉仕し、その負託にこたえるべき者であるから、労働基本権保障の内容も、公務員の右のような地位の特殊性から(特にその給与が国民の税金によつて賄われ、その職務が国民に対する奉仕として公正に、能率よく遂行されなければならず、その停廃の如きが許されるものではないなどの点で)、一般の勤労者の場合と異なつて、ある程度の制約を受けることは憲法上許されるというべきであるが、右の保障の重要性にかんがみ、その制約は合理的に必要な限度にとどまらなければならないことは明らかであり、なかんずく、団体協約の締結は、団体交渉や争議行為が窮極の目的とするところであり、その締結権を保障することは、いわば労働基本権保障の眼目ともいうべきものであることを考えると、これに対する実定法上の制約についての憲法判断にあたつては、別して慎重な考慮が要請されなければならないと考える。

ところで、公務員は、これを個々的にみると、その職務の内容、勤務の形態等は多種多様であり、これに即応して、現実的にはその有する前述の公務員の地位の特殊性(これを裏からみれば労使関係における勤労者としての性格)に濃淡、強弱の差があることは否定しえないところであるから、実定法により右にのべた制約の合理的限度を定めるにあたつては、これら個々の公務員の勤務内容や勤務形態(いわゆる勤務条件をも含めて)等の実質に最もよく適合すると考えられるところを緻密に配慮して立法することが理想であるといえるであろうが、この理想を達成することは、実質上も立法技術上も甚だ困難であるから、どの程度まで公務員の前述のような個々の勤務内容や勤務形態等に配慮して立法すべきかは、前記労働基本権保障の趣旨に反しない限り、立法府の合理的な裁量に委ねられているものというべく、国公法が、同法上の国家公務員を特別職の公務員、五現業の公務員及び一般職の公務員に大別し、そのうちの一般職の公務員について、少数の例外(警察職員等)を分別したのみで、これを総体的にとらえて、労働基本権の制約を規定したことも合理性あるものとして首肯しうるところである。

以上のような観点に立つて検討するに、国公法九八条二項但書が公務員に団体協約締結権を否定したのは、前記公務員の特殊性の面に重きをおくのが適当であるとする法意に出たものと解されるのであるが、他方、同項本文の規定によると、職員には、組合その他の団体を結成し、組織を通じて、自ら代表者を選び、勤務条件等に関して当局と交渉することができることが権利として認められており(したがつて当局には交渉に応ずる義務がある。)、ここにいう交渉は、単に組合等が当局に対して意見をのべる機会が与えられたものにすぎないとか、労使双方が意見や希望をのべ合う単なる話合いの場が設けられれば足りるとかと解すべきではなく、組合等は当局に対する要求を掲げて労使間の意見の合致を目指すことができ、当局もまた誠実にこれに対応しなければならないとする趣旨であると解すべきであるから、その意味でこの交渉は一般の団体交渉に近い実質をもつものと考えられ、更にまた、この交渉によつて労使間に意見の一致をみた結果は、団体協約として取り扱うことは認められないものの、労使双方において十分に尊重され、そのとおり実行されるか、少なくともその実現のため別して当局において十分な努力がなされることが期待されており、特に当局によつて正当な理由がないのにその趣旨を没却するような処置がなされた場合には、このような処置は、公務員の労使間に存する信頼関係を侵犯する行為としての法的評価を受けることとなると考えられる。それゆえ、右国公法九八条二項の規定は、団体協約締結権の保障の観点からみて十分なものとはいい難いにしても、実質的には公務員の労使関係の面における職員の経済的地位の向上に資するものであり、また、これを期待して立法せられたものであることは否定することができない。

以上のべたところを総合して、私は、このような制約の態様が最上のものであるかどうか、より一層公務員の勤務に密着した妥当なものを求めることはできないか、などの評価、考慮はしばらくおき、右規定が今直ちに憲法二八条の趣旨を没却するような不合理なものとまで断ずるのは相当でないと考える(以上の点については、多数意見の引用する最高裁大法廷判決及び最高裁昭和四七年(行ツ)第五二号同五二年一二月二〇日第三小法廷判決の各私の反対意見参照)。

(環昌一 天野武一 江里口清雄 高辻正己 服部高顯)

上告理由〈省略〉

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